シベリアの森と草原から

最果ての地の白夜を求めて

美「白」

アメリカの某企業が美白製品の販売を中止するというニュースを目にした。「白い肌を推奨している」との批判を受けてのことだという。多くの日本人は「やりすぎだ」と感じるだろう。私も同じである。

でも、一言「そこまでする意味が分からない」で済ませてはならないと私は思う。「明らかな差別の助長」と「考えすぎ」との間の線引きは、直感的に思うよりも複雑で難しいものだ。

 

例えば、多くの日本人(多くは女性だと思われる)が「今よりも白い肌になりたい」あるいは「白い肌を維持したい(焼けたくない)」と願うのは事実である。また、そのような日本人の多くが人種差別を意識していないことも事実であろう。彼らの多くは別にネグロイドの人々の肌を美しくないなどと思うわけではないし、中には好きなネグロイドのタレントがいるだとか、他の人種であったとしても浅黒い肌の人が好きという人もいるだろう。彼らには彼らの美しさがあることを認める人は多いと思う。それでも、自分自身は白くなりたい。それは何故か?恐らく「何故自分が白くなりたいと思うのか」「何故白い方が美しいと思うのか」を考えたことのある人はそう多くないと思う。

 

ひとがどんな美的価値観を持とうが自由な筈だ。では、あるモンゴロイドの人が「今よりも白い肌になりたい、その方が美しいと感じるから」と願うとしたら、それも自由な個人の美的価値観ではないのか?そんなものが本当に人種差別的か?これは自然な疑問であろう。では、何故「白い方が美しい」と思うのか?そのような価値観を持っている人は、本当に自分の、個人の内的価値観からそう感じているのか?実際、本当にそうかもしれない。が、大元を辿れば無意識のうちに植え付けられた「コーカソイド的美が規範であり、そこに近いほど美しい」という価値観が内心にあって、当人も意識しないうちにそれを自分自身の価値観として取り込んでいる、かもしれない。このプロセスは至って無意識的で、成長過程であらゆるメディアや周りの人々からそのような価値観を刷り込まれている、かもしれない。こうなると確かに、必ずしも人種問題と無関係ではなくなってくる。

でも、本人も無意識なのだ。価値観、特に美的価値観の多くは成長過程で外部から刷り込まれていった要素が極めて強く、それらすべてに社会的な理由に基づいて批判をしようと思ったらほとんど全ての既存の価値観の否定になってしまうかもしれない。特に美という概念には多くの場合「比較」がついて回るから、あれは人種差別だこれは体型差別だとやっているうちに色々なものを否定していくことになってしまう可能性もあるのでは無いか。どこまでが「個人の思う美」で、どこからが「押し付けられた美」なのか?どこまでが「政治的に正しく純粋な美」で、どこからが「差別的で歪んだ美」なのか?誰が明確な線引きをできるというのか?誰もできやしないのだ。社会とそこに生きる個人とは、葡萄の房のように簡単に切り離せる代物では無いのだ。価値観は個人の中だけで作られるわけでも、社会の中だけで作られるわけでも無い。この曖昧性を認識せぬままに言葉狩りや製品狩りをするのは、かなり危険な行為では無いかと私は危惧している。

それぞれの人種にはそれぞれの人種なりの美しさがある。そこは絶対に肯定しなければならないだろうし、間違っても「ある人種はある人種に比べて劣っている」というようなことを言ってはならない(美以外においても)。それは真だが、同時に各個人が己のなりたい容姿を望む権利もある。しかしその「なりたい容姿」の基準に、無意識的な人種的優劣の感覚が組み込まれているかもしれない。でもそれを言ってしまえば他にも無意識的に刷り込まれた(そして考えようによっては不適切な)価値観はあるかもしれず、それら全てを捨て去るのは非常に困難であろう。別に「面倒臭いから今のままで良いよ」という意味では無く、少なくともその事実を多くの人が理解してからでないと話は始まらないと思うのだ。

 

私個人としては、どこかで折り合いをつけるしか無いと考えている。まず個人が望む姿になる権利を認識すること。その上で、個人の願望や価値観には無意識的に刷り込まれた要素が多分にあることを知ること。その上で、理性的判断力をもって折り合いをつけること。これらが必要なことなのでは無いか。怒りに任せて言葉や物に文句をつけるのは真に差別に立ち向かっているとは言えないだろう。価値観は抑圧で簡単に変えられるものでは無い。人々の幸福のための差別反対運動でかえって己の願望を叶えられなくなる人を増やしてしまうのは本末転倒だ。それよりはいっそ、世の中の人々の美的価値観から変えていくというのが真の差別に立ち向かう姿勢なのでは無いか。製品の販売を中止するなどの措置に比べたら格段に長い時間はかかるだろうが、目指すべきはこちらなのでは無いかと私は思うのだ。

 

※この記事ではあえて「コーカソイド」「モンゴロイド」「ネグロイド」という言葉を用いたが、この分類が現代の科学では必ずしも正確なものでは無いことは一応承知はしている。私は差別的意図をもってこれらの語を用いたわけでは無いが、もし気分を害された方がおられたならばお詫びしたい。