シベリアの森と草原から

最果ての地の白夜を求めて

乱気流の渦を抜けて

昨日、朝食兼昼食のサンドイッチを頬張っている最中にスマホが鳴った。慌てて咀嚼して出ようかとも思ったが、もし大して重要ではない電話だったら面倒だなと思ったのと(まあ時期的に十中八九大事な連絡だろうとは思ったのだが)、重要な電話だったとしてもひと呼吸おいてから出たい気がしたので、食べ終わって手を洗って、一応番号を検索してから掛け直した。果たして、第一志望の企業の方からであった。そして良い報せを聞くこととなった。

正直嬉しさと同時にめちゃくちゃ安心した。私は3月の就活解禁に出遅れてしまった感があったし、そもそも工学畑出身者がほとんどと思しきその企業が私のような理学徒を本当に採ってくれるのか?という疑心暗鬼状態だったのもあり、常に不安だった。特に今年は研究室の同期たちにオフラインで会えないので、居室で雑談しながら情報交換したり愚痴をこぼしあったりするのも叶わない。自分の選択ややり方が正しいのか、暗中模索の日々。そして最も強い影響を感じたのは、自己肯定感であった。

 

いや、本当に就活は恐ろしいと思う。自己肯定感の乱高下。さながら乱気流の中の旅客機のようだ。選考に通れば認められたと喜び、祈られればどこがダメだったのかと悲しむ。

私はそもそも無条件の自己肯定感をある程度持てているし(過去の記事参照)、何十社もエントリーしたわけではないので比較的小さなダメージで済んだ方だと思うが、もしたくさん祈られてしまったとしたらきっと耐えられない。自己肯定感は胸の内にあれど、他者の評価を気にせず生きていけるほど心が強いわけではないので、結局辛くなってしまうだろう。でも現実にはそういう就活生も少なからずいるのだろうと思うとやりきれない。己のキャリアのために自分の大切な自己肯定感を削らなければならないのか。自分の精神衛生を擲ってまで就活というのはやらなければならないのか。

 

就活というシステムを根本的に変えろとまで言うつもりはない。私は就活の全てを知っているわけではないし、恐らく私が知らないだけで色々な採用方法を採っている企業があると思う。また私自身は、自分が内々定をいただいた企業の方にあのような形で自分の伝えたいことをアピールできたのは良かったと思っている。

でも、なかなか精神衛生上良くないのは確かだ(ある特定の企業のやり方が心を蝕むと言いたいわけではない)。もしかしたら就活のシステムだけではなくて、フリーでいる期間の存在を是としない窮屈な日本社会にも問題があるのかもしれない。もう少し周りの目から自由になれれば、少なくとも「今年度本当にどこもダメだったらどうしよう?」みたいな余計なプレッシャーからは解放されて「まあ最悪来年リトライすれば良いか」と思える気がするから。

 

もちろん、何社祈られようが死ぬわけではない。人間の価値の全てが「何ができるか」で決まるわけではない。また、一年たりとも空けずにストレートで人生生きていかなければならないと決まっているわけでもない。しんどければ時々休んでもいいし、誰かに頼ってもいい(というかそうすべき)。この混乱する社会の中で今も戦っている21卒の同胞たちは、どうか気楽に構えながら頑張ってほしい。誰にでも個性があり良さがある。きっと大丈夫だから。