シベリアの森と草原から

最果ての地の白夜を求めて

日曜の晩、布団の上

薄暗い部屋で光るテレビとスマホの画面。この記事を書き始めた時点で既に窓の外はかなり暗く、本当ならもうカーテンを閉めて明かりをつけるべきなのだろう。しかしその元気が無く、見てもいないテレビをBGMに、布団の上で漠然とスマホを眺めること幾時間。予定の無い土日はいつもそう。…正確に言えば、予定があっても時々そうなってしまう。

今日、本来であれば、しっかり支度をして荷物を持って家を出て、今頃目的地に着いていなければならなかった。しかしできなかった。そもそも持っていかなければならないもの達が、昨年引越したこの家のどこにしまわれているかも分からない。何も準備ができていない。目を通すべきものに目を通せていないばかりか印刷すらできておらず、まだデータのまま。辛うじて昼にシャワーを浴びることだけはできたが、その先の道のりが長すぎて力尽きてしまった。心底申し訳なくなりながら仮病を使って休みを決め込んだ。

 

少し前にTwitterで流れてきていた「週末うつ」というやつに近い状態なんだろうと思う。

平日は一応決まった時間(それも遠距離通勤なのでそこそこ早い)に起きられるし、決まった時間、あるいは必要ならもう少し早い時間に出社することができる。仕事が多い日は途中で力尽きそうになる日もまああるが、それでも8時間(以上)は毎日働いている。週5で。

平日の間は元気なつもりでいるし、職場の人達と会話してはからから笑っている。コミュ障なところもあるけれど、精神は至って健康的(なつもり)。

ところが休日になるとこれだ。普段の癖で朝はそこそこ早いうちに自然に目が覚めるが当然二度寝、三度寝。食事の時間もめちゃくちゃ、というか始終ちまちまと少しずつ何かを食べているのであまりお腹も空かない。そしてずっとスマホを見ている。気づいたらまた寝ていたりもする。生理的欲求以外にほとんど何の気力も無い、メリハリの無い堕落。

平日に無意識のうちに無理をしているのだろうか?それとも自分が他人の目が無いと頑張れない、堕落した人間であるというだけのことなのか?その両方なのかもしれない。

 

自分が家でひとりで頑張ることが極めて苦手な人間であることは既に知っている。特にタイムリミットが無いか、比較的長いものには延々手がつけられない。いつかの自分がやりたいと望んでいたことでさえそうなのだ。いわんや気乗りしない義務的な作業をや。

今の生活は、これでも昨年度よりはずっと健全に感じられる。今は曜日と時間に縛られ、仕事をすべき時間以外で持ち帰りの仕事をやる必要は(今のところ)無く、一応生活にメリハリがある。対して学生時代は、時間の制約が良くも悪くも無かったので、午後から動き始めて密度の低い作業時間をだらだらと夜まで続けていた。土日も小さな違和感というか焦燥感が常にあって、何もしていないことに罪悪感を抱いた(が、それをばねに何かを生み出せるほど私は勤勉では無かった)。特に登校すら制限されていた昨年度は、これが24時間7日間nヶ月間続いていたのだと思うとぞっとする。怠惰な自分を甘やかす気も同情する気も無いが、こんな人間がこの環境に置かれたらそりゃあ堕ちるだろうなという気持ちでいっぱいになる。

そういう意味では今はまだましだと思える。土日突っ伏していても、平日働きさえすれば一応給料は貰えるし社会的地位も損なわれない(別に学生時代追放されたことがあるわけでは無いが、比喩的な、精神的な「居場所がある」という感覚のことを言っている)。でもやりたかった趣味は?学生時代や平日に思い描いていたことは?何もせず、できずにまた月曜日が来る。

 

家にいて頑張れない時間を過ごしていると、学生時代の嫌な焦燥感を思い出しては憂鬱で惨めな自己嫌悪に苛まれる。今土日にやらなければならない(あるいはやりたい)ことは、学生時代とは違って、本当の意味での義務では無いかもしれない。でもこのまま寝ていては、きっと近い未来の自分は後悔するし悔しがるだろう。それは確かに分かっている。でも気力と体力が追いついてくれない。これは社会人1年目ならではの状態なのか、それとも自分自身の限界なのか。何とかできないのか、私。