シベリアの森と草原から

最果ての地の白夜を求めて

あなたを守らなくちゃ

もし将来私が死にたい、消えたいと思うことがあったら、そんな日が来たら、必ずKing GnuのThe holeを何度も何度も聴こう。

 

この曲は元々聴いたことはあった。YouTubeでもそうだし、何なら数日前に音源も購入したばかりだった。しかし恥ずかしいことに私は歌詞を全然知らなかった。歌詞をあまり聴かず(というか私は恐らく歌の歌詞を聴き取るのが苦手なのだ)メロディーや曲調だけで音楽を好きになることが多い人間なので、漠然と自分好みの切ないメロディーとしか思っていなかったのだが、今までそんな聴き方しかしたことがなかった己を恨むほどに心に突き刺さった。

聖母のような優しさ、獅子のような強さ、でも守る側だって、聖母でも獅子でも無く人間なのだ。自ら光を放ちひとを照らしてやることはできなくて、互いの心身のすべての傷をなめらかに消し去ってやることもできなくて、万能でも器用でも無いかもしれない。けれど、それでもかすかな光を掻き集めて、自らが傷口になろう。どこまでも人間臭く、愛に溢れた歌なのだと思う。

 

私はこれまでの人生で甚大な挫折は経験していないし、何もかも休まなければならないほどに心の健康を損なってしまったことも無い。けれど(あるいはだからこそ)、一生平穏無事に生きられる保証など無いし、逆にもし近しい誰かがそのようになったとしたら、その人の支えになれる自信はまるで無い。私は弱い人間だから。

無理して強くなる必要は無いと思う。誰しも。誰かのすべての重みをひとりで支えきれるほど強くなくたって良いから、横に寄り添ってほんの少し肩を貸してやるだけでも良いから(少なくとも何もしないよりはましだから)、できる範囲で優しく・強くありたい。し、どうしても踏み外してしまいそうな日には誰かの肩を借りて、それからThe holeを聴こう。

 

この記事は表現したくて書いたというよりも、いつか来てしまうかもしれない将来のための文章である。未来の自分への、心の底からの伝言である。「いつか」が来ないことを願うが、来ないとしてもこの歌は心に持ち続けていたい。そういうひとでありたい。