シベリアの森と草原から

最果ての地の白夜を求めて

分裂①

さて、一つ前の記事で書き殴るだけ書き殴って中途半端に閉じてしまった文章に対する、2021年10月現在の私が書ける続きを2回に分けて記そうと思う。毎度のことだが、この文章は自分自身のための記録という意図が強いということをご了承いただきたい。

 

 

私は、約4年半にわたって知人の男性に対して一方的な感情を募らせていた。彼は私にとって後輩にあたる人で、ある程度好きなものが共通していて、知的で穏やかで、私のできないものができて知らないことを知っていた。複数人で食事に行ったり通話で雑談するくらいの仲ではあったが、内心その先を望む自分がずっといた。その感情の強度がかなり強かったこともあり、また自分が好ましいと感じる様々な条件(共通の好きなものなど)を奇跡的なまでに満たしていた人であっただけに、ずっと自分はこうして彼に気が向き続けたままなのではないかと半ば本気で思っていた節はある。

そこに突然衝撃を受けた私の、内心の混乱が伝わるであろうか。変化の急激さ自体への驚きもあり、趣味、特に音楽や楽器に関係のない文脈で突然降って沸いた感情であったことへの困惑もあり、また現実問題として相手が職場のかなり近しい立場の人であることから「どうしよう」という気持ちもあり。このひと月の間(特に後半からはこの方と関わる時間が増えた)、先方や他の方々との関わりを経験しつつ、自分の内側の部分を何とか理解しようと悪あがきをしてきた。それを自分の脳内やらTwitterやらで、全くまとまらないながらも言語化しようとしてきた。これからもう少しまとまった形で、いくつかの塊に分けてそれらを書こうとしてみる。

 

まず、中学頃からずっと、私にとって音楽・楽器およびそれらが好きであることはアイデンティティーの一部だった。本当に大切な部分だった。生きるための術として専攻しようとは思わなかったものの、それでも私にとって音楽は最も大切な趣味であり、楽器は大好きを通り越して神聖で完璧なものであった。それだけ自分の中心に近い部分に長年在り続けてきた大切なものだから、自分の恋愛感情がそれに引っ張られるのはごく自然なことだと思っていた。

そこに唐突に、10年以上ぶりに反例が生じたのだ。私の混乱の一部分には、件の方に直接関係するところ以外に、「自分にとって音楽の重要性が下がったのか?」という懸念も含まれている。そうであって欲しくはないが、正直部分的には正しいのだろう。ここ一年間で、(申し訳程度に)専攻してきた学問を離れ、漠然と興味のあったあるものに関わる世界に飛び込む決心をし、元々それが好きな人にとっては今更のような勉強をしてきた。そして不器用で怠惰な人間であること、また所謂コロナ禍もあって、正直最近は楽器を全く触らなくなってしまった。将来的な復帰予定は一応あるものの、今はまだ考える余裕が無い。これらが重なり、自分の中での音楽というものの存在感は相対的に小さくなったのだと思う。今も好きだが、他のものとの大小関係が多少変動したという感覚だ。

これだけは断言しなければならないが、そうは言っても私は自身の中での音楽の重要性や楽器というものへの執着を、自分の恋愛感情や性的感情をもってしか推し量れないわけではない(筈だ)。誰を好こうが好くまいが、自分には胸を震わせる音楽があり、憧れる楽器があり奏者がいて、それらを好きでい続けた歴史がある。それは変わらない。ただそうは分かっていても、少し混乱してしまう自分がどうしてもいるのだ。

 

…先程うっすら仄めかしたが、白状すると自身の性的感情も悩みの要素の一つだった(厳密にはあまり過去形にできていない)。

実は8月頃まで、自分はアセクシャルに近いのではないかと思っていたのだ。アセクシャルという言葉は元々知っていたものの、ちょうどその頃「性的欲求が他人に向くことがない状態を指すのであって、欲求自体が無い状態だけを指すのではない」ということを知り、「あれ、もしかして私それでは…?」という気になった。無いわけではないが、他者に向くという感覚がいまいちおぼろげであまりピンと来ないな、と当時は感じていたのだ。

しかし、結論から言えばこれは誤りだった。恐らく、ひとりの人に好意を抱いて数年が経過し、恋愛感情が持続した末に穏やかに落ち着いてしまったにすぎなかったのだ。思い返せば私はかつて(Aくらいだったが)その人に対するそんなような夢を見て強烈な自己嫌悪に苛まれたことが複数回あった。元々無かったわけではなく、時間とともに減衰しただけだったことに、数年ぶりに新しい感情に直面して初めて気がついたのだ。

「性的欲求」の(広義の)説明として、「セックスしたい」だけでなく「触れたい」という欲求も含む、と以前どこかで読んだことがある。かつて読んだ時は正直ピンと来なかった。特に後者が。今は理解できる自分がいる。幸いにして(?)9月から今までに性的な夢を見て死にたくなったことは無いが、このような状態に自分が変化してしまったことは事実だ。それに対する戸惑いと、己の気持ち悪さに直面したことによる軽い自己嫌悪を感じているのもやはり否めない。経験の少なさゆえ、このエゴの塊のような気持ち悪い欲求を他者に向けることに慣れていないのだ(たとえ相手本人のあずかり知らぬところで密かに抱いた感情であったとしても)。

 

 

2000字以上に肥大してしまったので続きはまた記事を分けることにする。毎回ことごとく文章が冗長化してしまうのは私の悪い癖だ。