シベリアの森と草原から

最果ての地の白夜を求めて

2021年9月の記録

最後にこのブログに記事を投げてから半年も過ぎてしまったらしい。その間に私を取り巻く現実世界の環境は激変した。具体的に言うと、卒業したり入社したり転居したりした。

 

私の本当の本当の根幹は変わっていないと思う。思いたい。まあちょっと親しい人に言動が影響されやすかったり、自分の能力(特にコミュニケーション能力)に今ひとつ自信が持てなかったり、優柔不断だったり、自己がふにゃふにゃな部分も多々あれど、何が好きで何を重んじて生きているか、生きていくかというような大まかなコンセプトはそう簡単には変わらないものだと思う。…思っていた。

 

数々の新しい出会いの中のひとつ、ひとりの男性が、私の内面世界に衝撃をもたらした。つい先日のことだ。その衝撃は現在進行形で私を混乱させている。

数年前に別の男性に対して感じた感覚と酷似していた。気になる、から、抗えないという諦めに似た確信を経て、(私の中の)動かせない位置にそのひとが居座ってしまう。恋であるとほとんど認めざるを得なかった。楔が理性ではほぼどうすることもできない深い領域にまで刺さり込んでしまっていた。

 

以前どこかで書いたかもしれないし、Twitterで私を知っている人ならよく分かっているかもしれないが、私は楽器およびそれが上手な人が大好きだ。音楽と置き換えても概ね差し支えないが、やっぱり特に惹かれるのは楽器だ。楽器というものに対して侵しがたい畏敬にも似た強い好感を持っていて、楽器をやっている人には勝手に親しみを感じてしまうことも多いし、これまでの10年近くで私が恋心を自覚した相手のほぼ全員が何らかの楽器の上手い男性だった(ひとりだけいる例外は私が合唱の伴奏をやらされた時の指揮者だった。…やはり音楽という大きな文脈からは逃れられないらしい)。またそれ以外にも私には好きなものがいくつもあるが、趣味嗜好が多少でも良いのでかぶる人、趣味の話が合う人であってほしいという願望もかなり強い。はずだった。

ところが蓋を開けてみれば、楽器をやらない男性を私は目で追うようになってしまっている。知的で優しく、かつ自らの趣味を大事にしていそうなタイプの人であるというところはかなり好ましい(何だか上から評価しているかのようになってしまっているが勿論そんなつもりは無い)感じがするとはいえ、その趣味もさほど共通はしていない。ただ、私の知らないことを知っていて、できないことができて、忙しそうな時にも他者に気を配ることができる−−お察しかもしれないが仕事の話である−−、そういう男性であることは確かで、そういうところに惹かれてしまった自分がいた。

 

 

…上記の文章は本当は先月書きかけたものであったのだが、私の悪い癖で途中で放置してしまったまま時間が経ってしまった。一つの記事に一気に書いてしまうつもりだったが、今の心境の変化も併せて記録したいと感じたので、一度ここまででこの文章を区切る。中途半端で申し訳ないところだが、次の記事から自分の内心の10月時点での現状を記すことにする。