シベリアの森と草原から

最果ての地の白夜を求めて

「女」の多様性

SNSなどで、しばしばセクハラや性犯罪の被害の報告を目にする。その多くは女性と思われる方による投稿である(もちろん男性がそのような被害に遭われることもあるのだが、話題の性質上この記事では主に女性への被害に言及することを予め断っておく)。悲しいことに、「ほぼ毎日痴漢に遭った」だとか「昔はよく男の人に絡まれたりぶつかられたりしていたけど髪色を派手にしたら全く無くなった」といった話は、不運なたった1人のひとの話ではなく、時々見かけるものだ。時に彼女らが「女はみんなこういう目に遭ったことがある」とか「女はみんなこういう恐怖に怯えながら生活している」とか「男の人からは見えない世界がある」と言っている場合もある。私は、そのような恐ろしい話が本当にある/あったとしたら地獄だと思うし、嫌な思いをした女性たちには心の底からの同情と加害者への怒りを覚える。絶対に許せないと感じる。でも、同時に、心のどこかで小さくも確かな違和感を覚えてしまう。私にはそういった経験が殆ど無いから。

 

私は高校から今まで、もう10年近く電車通学を続けていることになるが、幸いなことに痴漢に遭ったことが殆ど無い。「殆ど」と書いたのは、よくイメージされる、満員電車の中で後ろから触られ逃げることもできず…というような経験が無いという意味だ。過去に一度だけ、そこまで混雑していない電車で何故か近くに来た知らない男に軽く触れられたことがあったが、あんなものはすぐに回避行動を取れたので一応大したダメージでは無かった(もちろん「その程度なら許容される」と伝えたいわけでは全く無いことは釘を刺しておく。心にダメージは受けなくとも、気持ち悪いし他人を最悪な気持ちにさせる加害行為だ)。また、性別を理由に知らない人に絡まれたりぶつかられたりしたこともあんまり無い。私はぼんやりしていて楽観的な人間なので、もしかしたら自覚していないだけなのかもしれないが……

 

私は別に嫌な思いをしたいと言うつもりは毛頭無い。被害を訴える女性たちを責めるつもりも、彼女らが嘘をついているなどと言うつもりも無い。当然、被害を受ける頻度や回数には大きな個人差があるだろう(何も美醜の問題だけで無く、おとなしめで抵抗しなさそうに見える人は標的にされやすいとも聞いたことがある。またもちろん容姿以外の個人の要因も関係し得るし、環境によっても大きく異なる筈だ)。己の欲求や勝手な都合で他人に嫌な思いをさせる行為は、どんな事情があろうともすべて等しくあってはならないし許されない。私は、自分が被った嫌なことの辛さを訴えるひとを非難するつもりなんかは一切無くて、ただ「全員がそうというわけでは無いんだよ」という小さな補足を一言付け足したい。それだけのことなのだ。彼女たちからは贅沢な悩みだと言われるかもしれないが、それでも「中にはそうであるひともいる」と「すべてのひとがそうである」とを同一視してしまうのは、理学の片隅のちっぽけな学生の1人として、どうしても許容すべきで無いと感じてしまうのだ。

 

同じようなことは嫌がらせ以外にも言えるように思う。例えば「生理はこういう症状があってこれだけ辛い、男性はもっと分かって」という投稿も時々SNSで見かけるものであるが、生理時の心身の調子も大いに個人差がある。当然このような投稿をする女性の多くが生理時(あるいは前後)に心身の調子を崩しやすい人なのだろうと思うが、これも「全員がそうでは無いんだよ」という小さな補足を添えたくなる。そういう辛さを毎月経験するひとの存在を否定するわけではなく、その投稿を見た男性が「自分の身の周りにいる女性すべてが毎月こういうものと闘いながら気丈に振る舞っているのか…」と考えてしまうことにほんの少しだけ待ったをかけたいのだ。私自身調子が悪くなりにくい体質であるのもあるし、逆にその投稿に書かれたものよりさらに大変な症状と闘っているひともいるかもしれない。また、病気などが理由で生理の無い女性も世の中には存在する。事情は個々人によって本当に大きく異なるのだ。

 

とにかく、「女性ならば全員が全員全く同じ経験をしている」とは間違っても思わないで欲しい。それは例えて言うなら「男性は皆滅多なことでは泣かない」とか「男性全員が高身長ゆえにどこかに頭をぶつけそうになることが頻繁にある」とか言うのと似ている(やや乱暴な例えだが)。全員が全員そうでは無いであろうことは多分誰にでも分かると思う。

けれど、実際に女性特有の理由によって生き辛さを感じているひとが存在しているのも事実であり、どんな性別のひとであれ、もしそのような女性たちがいたらどうか気を遣ってあげて欲しいし味方になる努力をしてあげて欲しい。そして私もそうしたい。

男性のみならず「自分はそうでは無いからそんな筈は無い、貴女が大袈裟に言っているだけ」と決めつけてしまう同性の存在も、時に女性たちを苦しめ得る。「誰もが同じでは無い」ということを誰もが認識し、その上で助け合い、寄り添い合う世界であって欲しい。