シベリアの森と草原から

最果ての地の白夜を求めて

自粛期間に寄せて、最低の倫理観の話

今年度の頭、いわゆる"自粛期間"と称されるあの約2ヶ月間。あの期間に対して、どこか甘える自分、安心していた自分が、自分の中に確実に存在していた。

倫理的に最悪な感情であるという自覚はある。この疫病のせいで夢を奪われた人、経済的に困難な状況に陥った人。そして実際に病魔に苦しめられた人も、大切な人が病魔に苦しむ姿を遠くから見守る他なかった人も、日本に世界に何人もいた(そして現在もいる)ことを、私は知っている。留学を途中で切り上げざるを得なかった人、そもそも行けなくなってしまった人もいることを、私は知っている。なんなら知人にだっているのだ。多くの人が戸惑い、悩み、困らされた(し、今も困っている)。しかし、あの誰もが戸惑っていた、手探りで生きていた感のある世界は、私のような怠惰な落ちこぼれにどこか安心感をも与えていた。誰もが生き方働き方に悩んでいる世界。誰もが手探りにならざるを得なかった時期。誰もが(必要に迫られて)慣れないことをやっていて、多少上手くいかなくても捗らなくても何となく仕方ないよねと許してもらえるような、「経験値が足りないゆえの寛容さ」みたいなものを、私は確かに感じていたのだ。ひょっとしたらありもしない空気を私が勝手に感じ取って自身を甘やかしていたに過ぎないのかもしれないが。

 

あの2ヶ月が明け、私は丁度その直後に就活を終えたこともあり少しずつ登校しての活動を再開したが、どうもしばらく以前ほど身が入らないような感覚があった(正直に言おう、今もある。まるで全快などしていない)。まあ、それでも世間は少しずつ動きを再開していく。いつまでも止まっていてはそれこそ犠牲が大きくなるばかりなのだから当然のことだろう。そこについていけずにいる私が、今も春と同じ格好をしたまま布団に横たわってぼんやりしている。…本当に最低なことだが、再びあの時のように何もかも止まってしまえばいいのにと思うことさえ時々ある。早くこいつを叩き起こさねば着実に卒業が危うくなっていくのだが……どうすればあの頃の甘やかな怠惰を焼き捨てて忘れ去ることができるのだろう。