シベリアの森と草原から

最果ての地の白夜を求めて

ふたりのтыとты

プライバシーやら諸々の問題のため、この記事はいつにも増して抽象的になることをお許し願いたい。また、この記事は予告無く削除される可能性がある。

 

私にとって彼はты(ロシア語の親称)である。そんなに大きな差ではないとはいえ、一応目下だから。つまり(少なくとも日本人的感覚で考える限りは)彼にとって私は目上であり、多少仲が良くとも普通はвы(敬称)の域を逸脱することは無い。まあ私の仲の良い後輩の中には時々敬語をすっぽかしてくる奴も居ないではないが、彼は真面目な人であるからそんなことは無い。だからいつだってвыだ。実際にロシア語で会話するわけでは無いのでイメージとしての話だが。

その距離感。近いようでいて全くもって遠い。正直に言うならば、悔しいし恐ろしいし悲しいし切ないし、永遠に感じられるほどに遠い。たとえ雑談する仲だろうが共に飲食する仲だろうが所詮私たちはтыとвыという型の中に居て、いつまでも"ふたりのтыとты"にはなり得ないのだ。その間にある薄膜のように見えるものは実のところ鉄の殻だ。こちらだけがこじ開けようと足掻いても何の意味も無い。先方にもそうしたいという意思が無ければ、絶対に叶いはしない。そしてここ数年、さらに言えば少なくとも現在の彼はそんな意思を抱くことは無い。抱きようが無い。万が一(実際には億が一くらいの話だが)そんなことが起きようものなら彼は裏切り者となり、やはり私は幸福にはならない。倫理を取ろうが欲を取ろうが私に幸福は無い。

いや、厳密に言えば私が幸福になる道が無いわけでは無い。彼(ら)が真っ当な手順を踏んだ上で別々の道を選ぶことがもしもあったならば、さらにその上で件の意思を持ってくれたとしたら、私は晴れて解放される。しかしこれはもしものまたもしもの話であって、確率が有意にあるという話では無い。まず一つ目の仮定も今私が持てる情報の限りでは可能性の低いことであり、二つ目はなおのことである。道は無数にあって、私への道は一つしか無い上に、その太さなんて分からない。通りやすい舗装道路では無く、あってないような獣道かもしれないのだ。他人が一つの道を辿るのをやめたからと言って、自分の望む道を選んでくれる保証など無いのだ。

 

それでも私はいつまでも一つの道が忘れられずにいて、小便を残してきた犬のようにいつまでも可能性を探して嗅ぎ回っている。何と不毛な感情か。やはり恋はひどく一方的で勝手だし、それを重々自覚していてもなお理性ではどうすることもできない。少なくとも私の場合は、だが。