シベリアの森と草原から

最果ての地の白夜を求めて

無彩色の優しさ

近頃、色々な議論や運動の結果として、世の中の様々な"black"と"white"のものの扱いに対して関心が高まっている。これまで無自覚に使ってきたその表現は、慣習は、果たして本当に「正しい」のか?それを問う営み自体は非常に大切なことである。しかし、問いかけた結果として既存の何かを変えていく勇気と同じくらい、「今まで通りで問題無い」「むしろ今まで通りの方が都合が良い」という結論に至る勇気もまた重要であり、(十分に議論を重ねた上であれば)どちらの結論を受け入れることも同じだけ容認されなければならない。すべてを頭ごなしに否定してしまうのは違う。反対意見に耳を貸さないのも違う。判断には常に理性が伴わなければならない。ひとびとの生活に関わることなら尚更。

 

昨日、あるニュースを見かけた。「オーストラリアのチェス連盟の委員が『チェスの白側が先攻とされるルールはレイシズム的だ』という意見に反論した」というような内容だったと思う(しっかり読めていないので誤っていたらごめんなさい。鵜呑みにしないで下さいね)。このニュースに日本語で言及したツイートに対して、「ここまで批判が出るのならば、いっそ赤と青など違う色の組み合わせに塗り替えれば良いのでは」などといったコメントが複数寄せられていた。各位がどれだけ本気なのか、あるいは取るに足らない指摘だと感じて冗談めかしてコメントしているのか、それは私には分からない。ただこれらを読んだ時に私が感じたのは、「もし仮にそれが実行されてしまったら困る人が出るだろうな」ということだ。

 

色弱」とか「色覚異常」という言葉を聞いたことのある人は多いだろう。近年では「色覚多様性」と言われることもある。これは3色型色覚(いわゆる「正常な」色覚)はあくまでマジョリティーであるだけで、それ以外のタイプの色覚も障害や異常ではなく差異に過ぎない、という思想に基づいた言葉である。私も同意見である(これは「2色型色覚の人は3色型色覚の人には分かりにくいカモフラージュも容易く見破れる場合がある」と昔読んだことがあるのが大きい。優劣というよりは、見分けやすいもの・見分けにくいものが異なるだけなのだと)。

とかく人は––特に五体満足だったり3色型色覚だったりするマジョリティーの人々は––自分と知覚の仕方が異なる他人の存在を忘れがちである。たとえ弱視全盲の人への配慮を忘れない人でも、視力はあるが色覚が自分と異なる人への配慮は忘れてしまいがち、ということはあり得ると思う。偉そうに書いているが、多分私も時々無意識にやってしまっている(グラフを描く時とか発表資料を作る時なんかに)。色というものは、同じような色覚を持つ人同士の意思疎通では大変便利な補助ツールとなるが、「色だけで」あらゆる他人と意思疎通を図ろうと思うのは危険である。視力を持つ全人類が同じ色覚を持っているわけではない以上、色だけでなく形も変えるとか、文字情報を併記するとか、そういう配慮は必要なのだ。

 

で、チェスの駒の色の話である。いや、これだけ運動が大きく、混沌としつつある今、チェスの駒だけでは済まないだろう。世の中のあらゆる「黒と白が対になっていて一方に僅かなアドバンテージがある物」が、昨今の「白黒狩り」の標的になり得る(「白黒狩り」という表現は私が考えた造語である)。身の回りの物の色に対して人種(差別)が想起されると言うならば、恐らく批判を回避するための最も穏当な策は「白黒以外の色に変えること」であろう。紫と緑のチェスの駒だったら、どちらが先攻だろうと恐らく人種差別的にはなり得ない(妙な組み合わせを例に挙げたのは、肌の色を指し得る"yellow"や"red"を避けたからだ)。が、それを我々と異なる色覚の持ち主が見た時に、我々と同じように区別できるとは限らないのだ。色覚のタイプは様々で、特定の色同士が区別しにくい人から、完全に無彩色の世界で生きている人まで幅広く存在する。そして、どんな色覚の人にも平等に区別しやすい2色の組み合わせと言ったら、やっぱり白と黒であろうと思う。下手に世の中の白と黒が無配慮のうちに有彩色に塗り替えられていくようなことがもしあれば、必ず困る人は出てくる。そしてそれは、チェスの駒の色を人種問題に結びつけて不快に感じる人の数よりも多い可能性が高い。

 

もちろん、様々な観点から検討し議論した結果として「やはり白と黒は相応しくない」「このルールは適切ではない」という結論に至ることはあっても良い(チェスの駒に限らないが)。それならばそれで、例えば一方の駒の形を少し変えるとか、駒にマークでも記せば良い。しかし、誰かが被るかもしれないデメリットを一切考えないままに、不快なものを感情だけで排除するのは間違っている。差別の段差を埋めようとしてかえって別の段差を作っては本末転倒なのだから。

…まあ私個人としては「チェスの駒やルールに文句をつける人は、チェスにyellowやredの駒が無いことをどう考えているのだろう?」と疑問には思うのだが。

 

 

この記事は繊細な問題に言及しているので、もしかすると私の不勉強が理由で誤った記述や不適切な表現が存在してしまっているかもしれません。もし万が一あった場合はご指摘下さるとありがたいです。