シベリアの森と草原から

最果ての地の白夜を求めて

勢いで書く試み

ここしばらく、時々深夜にふと思い立っては記事を書き始め、結局完結させ方が分からなくなって半端なまま下書きを放置する、というのをたびたびやっている。ので、今日はもう書けるところまで書いて勢いで投げようという決意を胸に書き始める。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

どう森並みの解像度の世界で生きたい。もうこれ以上悩みたくないし己を嫌いになりたくないし他人から嫌われたくない。

 

私は、「一応」自分のことは好きだ。でもそれはあくまで自分の趣味嗜好や知的好奇心を肯定し、「存在していていいんだなあ」と思えるという意味での好きであり、人間性のある程度の割合は大嫌いだし変えたい、投げ捨てたいと何度となく思っている。

自分の嫌いなところ。計画性、もっと言うと予測力が皆無に近いこと。にも関わらず、想定外のことに非常に弱いこと(結果的にいつも詰めが甘く何かしらで慌ててしまうのだ。いつも完璧な成功体験を得られずにいる)。そのくせ自分に滅茶苦茶に甘いこと(そうして喉元過ぎるといつも熱さを忘れ同じ過ちを繰り返しいつまでも成長しない)。まだある。苦手なことに対して集中して思考する力が全く無いこと。社会で生きるためのセンス、常識の欠如。意志の弱さ。…書き出すと滅茶苦茶ある。そしてこれらは相互に絡み合って生きにくさを形成している。

 

まず計画性。本当に無い。昔から夏休みの宿題を余裕を持ってできなかったタイプなのは勿論だが、成長してもなおこの性質が改善しない(どころか悪化している気がする。いや、元々持っている性質が成長と共に痛々しく露呈しているだけかもしれないが)と事態はさらに深刻になる。複数のやるべきことを期限ギリギリまで放置した結果それらがバッティングして酷いことになるとか、目的地への到着時刻を甘く見て遅刻しかけたり遅刻したりとか、予め考えておくとか準備しておくとかすべきものを殆どやらずに当日大慌てするとか、これら一連の行動のせいで他人に迷惑や心配をかけたりとか。何度も何度もやっている。これで何やかんや要領の良いタイプであればまだどうにか取り繕えるのだろうがそういった器用さも無いためどうしようもない。

勿論自分は怠惰なのだろうが、怠惰であることに加えて本当に予測する力が人より弱く苦手なのだろうなと最近ようやく悟り始めた。いや、苦手だからと言って開き直って良いことにはならないが。既にある程度経験がある物事であればその動作をある程度想像できるのだが、普段あまりやっていないことだとその難易度が段違いになる。知識不足だからではなく、知識として知っているのに直面する寸前までそれを想定していなかった、という事態が頻繁にあるのだ。

 

あとは思考力とセンスの無さ。特にお金に関することを考えると頭が痛くなってしまう(比喩的な意味で)。知識が無いから考えられないというのはあるが、丁寧に説明してもらったとしても、話をちゃんと聞いても深く理解することができないことがあまりにも多い。これまでは親に縋りまくって何とか社会で生きていけていたが、流石にそろそろ無知でいられる時間にも限界が来つつあるだろう…しかしどうすれば良いのか。

そしてお察しの通り思考力だけじゃなく常識も無い。これはお金のことに限らず、例えば服とかマナーとか色々なことに関して無い。自分なりの「好き」とか「こうしたい」みたいな拘りが皆無というわけではないが、あんまり無い場合が多いし、その拘りとてあくまで自分なりでしかないので社会的に見て「変じゃない」保証もないし、かと言って周りの目を気にしないほど尖っていられもしない。臆病なのに無知なため身の振り方が分からない。拘りゆえの「あえての」自由さは時に賞賛されるが、拘りの希薄な私は大人しく「普通に」「無難に」居るべきだろうに…どうすればそう在れるのかが分からない。中身がポンコツなのに、人間のコスプレを頑張っている感が拭えない。

 

そこで冒頭に話が戻る。どう森の世界。自分が思うまま自由に行動して良いし、好きな服を着て良い。服は色々用意されていて、でも現実世界みたいに似たような服が無数にあるわけでもなく、ブランドがたくさんあるわけでもなく、生地とか気温とか動きやすさとか、何より周りの目とかを気にする必要が無い。多すぎない選択肢の中でどこまでも自由。そういう世界の中であれば、私は服やファッションが好きであると堂々と言える。

それ以外の行動もそう。たまに「昨日魚釣りまくってなかった?」とか聞かれる程度で、何をしていようが住人から変な目で見られたりしないし、話題が思いつかなくても適当に話しかけて良いし、彼らは驚くほど簡単に仲良くなってくれる。お金絡みの話だってごく簡単な仕組みのローンやATMがあるくらいで、簡単に稼げるし生活費という概念は無いし気楽だ。保険も無い(作品によってはあった気がするが、ハチに刺されたらお金をくれるという程度のやはり簡単なものだった筈だ)。これくらいの解像度の世界で生きたい。複雑で無限の選択肢があり計画性が求められる、「社会人」たちが生活している現実世界で、自分がまともに生きていける気がとてもしない。

セクシュアリティーの話・続編

過去に前編中編後編と分けて長々と自分のセクシュアリティーについて書いてみたことがあった。そしてこの当時は自分の性自認について「多分シス女性だがもしかしたらXジェンダー寄りなのかも」「表現したい性が診断ではトランスジェンダー的と出てきたけどそんなにその実感は無い…」くらいのことを書いていたと思うのだが(中編参照)、数ヶ月経った今ならその当時よりもう少しはっきりと言語化できそうな気がする。

 

まず「こころの性」に関しては、「消極的女性」で変わりないと思っている。自分の肉体の女性性に不満や嫌悪感を抱いたことは無いし、やっぱり好奇心以上の動機で男性になりたいと思うことは無いのである。Xジェンダーという感じでも無いのかなと思う。どちらでも無いとか不定とかでは無くて、女性は女性でベクトルは合ってる、ただその「自分は女性である」という性自認の強度があまり強くない、というだけなので。

問題は「表現したい性」の方である。以前診断ではトランスジェンダーとか出てよく分からないな、などと思っていたのだが、私はこの「表現したい性」がXジェンダー的なのだと気がついた。そう、私は男性の肉体までは望まないが、いつもいつもフェミニンな格好をしたいとは全然思わない。逆にいつも積極的に男性的な格好をしたいというわけでもない。現実には自分の顔面や体型や手間や色々なものを気にしてしまうので少し事情が変わってくるが、仮に自分の容姿や面倒臭さなどを全て度外視して理想的な服装を考えてみると、その日の気分でフェミニンなかわいらしい格好をしたり、フラットに中性的な格好をしたりできたら一番楽しそうだなあと思うのだ。さらに男性的な格好に憧れる気持ちも少しある。まあ男性の肉体で男性的な格好をするのが一番「映える」のは確かだと思うし、それは少し憧れるけれども、24時間365日そうなりたいとはそんなに思わない(1日だけならなってみたい気持ちはあるが)。

表現したい性はこころの性と全く無関係では無いかもしれないが、やっぱり両者には少しだけ差異があるのかなと思う。私はその時によって色々な格好をしてみたいと思うが、あくまで「消極的女性」であり、例えば中性的な格好をしたとしても自分の内側の女性性を捨て去るわけではない、という感覚。何だかややこしいが、これが今の自分の実情に一番近い。

 

こうして自分のセクシュアリティーについて考えてみればみるほど、大まかに言えば「マジョリティー」である自分のような人間でも細かく見ていくと複雑であることに気づかされる。もはやセクシュアリティーに関してマジョリティー/マイノリティーという括りさえあまり意味が無いのだろうと思う。一見同じ区分に分類される人たちも、細かく細かく考えていくとやっぱり一人ひとり微妙に違いがあって(時には当人さえも気がついていないだろう)、性のあり方は70億通りあると言っても過言では無いのだろうなと思う。

昔話

ちょっと甘くて気色悪い昔話。

 

以前書いた通り、かつて私はピアノを習っていて、転居により何回か通う教室が変わるのを経験していて、習っていた期間の大部分はグループコースにいた。このグループというのがピアノの生徒とエレクトーンの生徒とが混合で、数台のエレクトーンと1台のグランドピアノが置いてある大きめの教室で、1人ずつ先生に見てもらったりアンサンブルの練習をしたりしていた(どの音楽教室か分かる人もいそうだけど一応伏せておきます)。

10年以上前にいたある教室で、同じグループにエレクトーン弾きの男の子がいた。学年は同じだったが学校は違った。通っている学校と、あるスポーツをやっているらしいことくらいしか私は彼について知らなかった。グループで習っていれば大抵は仲間同士で仲良くなるものだと思うのだが、ここは珍しく仲間同士の会話が全然無かった(私が転入してきた時には既にそうだった。流石にその空気を破ってみんなに話しかけられるほどの度胸は無かった)。だから私は彼と言葉を交わした記憶は無い。

彼はあるジャンルの音楽が好きで、よくそのジャンルの曲を練習していた。当時の私はその中の一番有名であろう曲を断片的にテレビで聴いたことがある、というくらいで、それまでの人生で殆ど全く接点の無い音楽だった。ある時の個人発表会で、彼はその一番有名な曲を弾いた。衝撃的だった。聴いたことがあった曲だし毎週聴いていたのだから練習していたのは知っていた。のに、めちゃくちゃかっこよく見えたしかっこよく聴こえた。シンセサイザーチックな音を駆使したバチバチにエネルギッシュな音楽。何となくクラシックのピアノ曲を好きになり始めたばかりの、その他のジャンルは全然知らないウブなピアノ弾きの私に、平たく言えばその演奏は「刺さった」。その時を境に私は彼に対して好意を自覚するようになったのだった。

 

今考えるとツッコミどころだらけの話だ。これまでの私の人生で、まるで会話をしていない人に恋愛感情を持ったのはこの時だけである。容姿がタイプだったわけでもない(というかどんな人がタイプか当時は分かってなかった。今もよく分からないが)。私は彼という人が好きだったのか(全く話したことがないのに?)、演奏中の彼が好きだったのか、彼の演奏が好きなだけなのに好意と勘違いしてしまったのか、何なら彼が好んで弾いていたその音楽ジャンルが好きだっただけで彼である必要は無かったのか、まるで分からない。

色んな音楽ジャンルの存在を知っていて、気になった曲をすぐにYouTubeで聴くことができ、アマチュアのオケで無数の奏者たちと知り合った今の自分なら、「この人の演奏が好き」と「この人に恋愛感情がある」とを区別する術を知っている。音色が好きだったり演奏の仕方がかっこよかったりする「推し」の知人は何人もいるが、彼らにいちいち恋愛感情を抱きはしない。でも当時の私はその区別の仕方を知らなかったのかも知れない。或いは自分の知らない世界を教えてくれた、私の世界に風穴を開けてくれた、そういう存在に(私の中で勝手に)位置づけられた結果その気になってしまったのかも知れない(勿論彼は私に教えてくれようとしたわけではない。彼はただ自分の好きな曲を選んで弾いていただけで、たまたまそれが私に刺さるものだっただけの話)。とにかくそんな気になった理由は自分でも分からないし、それが本当に恋愛感情的なものだったのかも分からないが、少なくとも当時の私はそれを恋心だと思っていた。

 

私のこの感情には、別に進展も何も無かった。当時の私にとって、片想いから先に進むという発想はそもそも無かった。胸に秘めているだけで楽しかったし、自分に自信も無いし、それ以上のことなど望まなかった。やがて受講形態がグループから個人に切り替わって彼と顔を合わせることは無くなり、その後私は引っ越した。転居後数年間は当時の先生と年賀状のやり取りがあったのだが今はもう無い。まともに話したこともない当時のグループの仲間たちの連絡先を知るはずもなく、彼らが今どこで何をしているのか私はもう知る由も無い。

こんなに勘違いの可能性の高そうな恋だったのに、想うだけで別に何も起こっていないのに、それでも当時の時間は私の中でやけに美化された記憶として在り続けている。それは私にとって音楽で人を好きになった初めての経験であったし、まだ性的欲求と恋愛感情とが結びついていなかった頃の「純粋な」感情だったからであろう。そのグロテスクなまでに一方的な"美しさ"を孕んだ思い出に、未知の刺激的でかっこいい音楽が彩りを添える。あれだけ強いインパクトを持ち、それでいて性と一切結びつかない強烈な純粋さに包まれた、ただ若く幼く美しいだけの恋心は、もう二度と抱くことはできないかも知れないと思うのである。

 

無論彼に対してもう当時のような気持ちは無いが、今でもそのジャンルの音楽は大好きだ。ほんの数日前に、彼が演奏していた曲を含む何曲かをiTunesで購入したくらいには。

記録

もしかしたら近い将来何かの役に立つかもしれないので、自らの心身の状態を言語化して記録しておこうと思う。

 

視力の下降が止まらないらしいことと、外出が減り体重が増えたらしいことを除けば身体的には特に変化は無い。食欲不振も、多分過食も無いし、過眠も無ければ眠れなくなったりもしていない。

精神状態は、日によってはあまり良くない。大体元気だとは思っているのだが。出掛けなければならない決まった用事に出掛けることはできているし、参加しなければならないミーティングなどにも穴無く出ることができている。しかしそれ以外の活動に支障が出ている。具体的に言うなら、卒業に向けて書かなければならない例のアレがまるで書き進められていない。恐らく元々の先延ばし癖と怠惰に、最近の活力の低下とスマホ・ゲーム依存症とが合わさってどうしようもならない程度に悪化しているのだろう。とは言うものの実はゲームへの依存も漸減している。ゲームをやる気力が湧かない時間が以前より増えていて、例えば動画広告を見る必要のあるゲームなんかをやる元気があまり無い。勝敗の絡むような競うようなゲームとか、定期的に開かなければならないようなゲームもあまりやりたいと思わなくなった。それらさえもストレスに感じる自分を自覚するようになった。それでも依存症が治ってはいないから、せめてものストレスが少ないゲームを日に何度も開いたり、それさえもやり終えてしまった時はスマホのホーム画面のまましばしぼんやりしたり、延々Twitterを眺めていたり、過去のLINEを見返したり、とにかく無意味なことを無意味と分かりながら続けている。逃避と依存でずぶずぶに破滅に向かっていて、事態のまずさは理解していながらも身体はぼんやりと重く、家にいる日はかなりの時間横になったままだったりする。元々自宅の環境が非常に良くないのもあり(元々狭く物が多すぎるため自室の自分の机は物置と化していてほぼ使えない。専ら膝の上で、カメラオンが必要なら椅子の上に、PCを広げて布団や座布団の上に座っている。これはコロナ前からそうである)、集中しにくい環境であることは分かっており、せめて登校するか図書館にでも行けば良いことも分かっている。それができない日も多い。家を出なければならない用事があればそのついでに図書館などに行くことはできるのだが。

そういえば、最近以前より多少泣きやすくなったような気がしないでも無い。ただ、これにはここ数ヶ月の間に色々な方面で立て続けに自分の同じ欠点を痛感する機会があったことも関係している筈なので、必ずしもメンタルヘルスのせいでも無いかもしれない。分からないが一応記しておく。

 

自分は面倒で厄介な人間だなと思う。まるでフッ軽では無いので用事が無ければ家を出ない。コロナ禍の今はなおのことそうだが、しかしずっと引きこもって陽を浴びず人と会話せずにいると気が沈んでくる。家を出れば改善されることを理解していながら、家を出るのを面倒臭がるししばしば生活リズムを崩してしまい昼夜逆転させる。それらが自身のメンタルヘルスにとってマイナスであることを知っていながら。自分で自分の機嫌を取る努力をできていないのだ。家で一人で勝手に気が沈んで時間を浪費している。こんな時期に。健康を損なっている場合では無いのだ。

習い方、出会い方、愛し方

ほとんど書き終えた状態で放置されていた下書きを完成させて投稿する。予め断っておくがとてつもなく長いので、そこはご容赦願いたい。

 

 

かつて私はピアノを習っていた。そして転勤族だった。

お世話になっていたのは某大手音楽教室で、そこのグループが運営する教室が全国にあり、転居先でもそこの同じようなコース(ちなみに個人とグループとあるのだが私は長らくグループで習っていた)で継続することができた。使用するテキストはオリジナルのもので、どこの教室でも同じものだったと思う。

そんなわけで私は「同様のコースを別の教室・別の先生・別のクラスメートと受講する」という、わりかし珍しいであろう経験を複数回した。大変そう、面倒臭そう、と思われる方もおられるかもしれないが、実のところ私にとっては転居を繰り返したことは圧倒的にプラスだった。

 

私は4歳からピアノを習い始めたのだが、最初に教わった先生は比較的厳しい方だった。私は泣き虫だったのでよく弾けなくて泣いていた(これは練習を怠けがちだった私のせいでもあるのだが)し、同じクラスの他の子も時々泣いていたように思う。もちろん練習をサボるのは褒められたことではないし、実際練習は大切だし、先生が間違っていたとは思わない。でも今振り返ると、幼児コースではまず「音楽を好きになる」「音楽を楽しむ」ところからスタートしたかったな、という思いは正直なところある。私は別にプロのピアニストを目指しているわけでは無かったのだから(他の子たちもそうだったかは知らないが、私の予想では本当にピアニストを目指すならばグループではなく個人コースを選ぶ場合が殆どではないかと思う)。

幼稚園を卒園するタイミングで引越し、新しい教室に通い始めた。この教室には一番長く居て、途中で仲間が増えたり減ったりしたし、先生も途中で一度変わった。グループコースだったのでアンサンブルをやることもソロ曲を練習することも両方あったが、後者に関してはどちらの先生も基本的に「原則テキスト(ソロ曲とアンサンブル用の曲がいくつかずつ載っており、一年くらいのスパンで新しい本に移る)のソロ用の曲からやりたい曲を選んで練習する。テキストの曲が全部終わったら自分で好きな譜面を持ってきて練習できる」というシステムだった。…のだが、当時の自分はそこに載っていた曲(オリジナル曲もあればギロックあたりの簡単な曲もある)をあまり好きになれなかった。綺麗ではあるし嫌いではないけれども、モチベーションが湧くような感じではなかった。そこに元々の怠け癖が合わさってしまって、モチベーションが湧かず練習しない→なかなか弾けるようにならない→完成するまで時間がかかってしまう→全ての曲を練習し終わる前に次のテキストに進む、というのを数年間繰り返していた。つまり、「自分が弾きたくて自由に選んだ曲を練習する」という経験が、小学生のほとんど終わり頃まで全くなかったのだ(尤もこの頃はクラシックのピアノ曲も殆ど全く知らなかったので、仮に自由に選んで良いと言われても逆に戸惑ってしまっていたかもしれない。なので教室の方針を責めたいわけではなくて、とにかく私は弾きたい曲を弾くという経験をしていなかったのだ)。先生方には大変申し訳なかったが、正直なところこの頃はまだ嫌々教室に通っていた節があった(私は別に通うことを親に強制されていたわけではない。単に「続けてきたのに今やめちゃうのは嫌だ」という意地だけで続けていた)。練習はずっとサボりがちだったし、たまにだが相変わらず泣いてしまうこともあった。幼児の頃に音楽を楽しむことを会得しきれないまま、与えられる課題をどうにかこなそうとする。あんまり楽しくないから練習したくない、練習しないと弾けない、弾けないと楽しくない。実に悪循環である。

 

これを変えてくれたのが、この次の小学校卒業直前の転居だった。次の教室の先生の方針では、テキストの曲に拘る必要は一切無く、テキストから選んでも良いし自分で譜面を持ってきても良かった。ちょうどこの転居の数年前からほんの少しずつクラシック音楽に関心を持ち始めていた私は、ピアノソロ曲が多数入った全音の楽譜を買って、初めてのクラシック曲としてショパンノクターンOp.9-2を選んだ。元々思い入れがあったわけではなかったが、ちょうど少し前にちょっとした演奏会で他のクラスの子が弾いていたのがやけに印象に残っていたからだった。

この時が転機だった。練習すればするほど魅了され、練習するのが楽しく、初めて自分から練習にのめり込んだ。その後も色々な曲をやったが、殆ど全てオリジナルのテキストではなく全音の譜面から選んだ。私でも聴いたことがある有名な曲、選んだ時に初めて知って好きになった曲、色々あり、全部が全部のめり込めたかと言われると微妙だが少なくとも昔よりはずっと楽しかった。中学くらいになって——習い始めて10年近くも経って——ようやく自分に「音楽が好き」という自覚が芽生えた。

 

音楽に限らず、今何かを誰かに習っている人、習っていたけどやめてしまった人、またお子さんなどに何かを習わせている/習わせようとしている人に伝えたい。

先生、教室、他の生徒など、環境が合わなかったからと言って、習ったものそれ自体が向いていなかった、合わなかった、本当に好きではなかったのだと決め込んでしまわないで欲しい。また、楽しみなこと、目標にしたいと自分から思えるようなことに出会えないとしても、それは必ずしもあなたに合わなかったからとは限らない。

 

せっかく習うのならば、まずは少しインプットを増やしてみると良いかもしれない。音楽ならば色々な音楽(出来ればプロの演奏、生でなくても音源だけでも良いから)に触れてみる。モーツァルトが退屈に感じても、もしかしたらショスタコーヴィチはそうではないかもしれない。クラシック音楽がピンと来なかった人でもジャズやフュージョンが好きということはあるかもしれない。

何かを始めた最初というのは、誰だってアウトプットが下手くそなものだ。素晴らしいと思える、目標にしたいようなインプットに出会えない限り、下手くそな自分のアウトプットしか向き合うものが無いわけで、その状態で折れずにモチベーションを保つことの難しさは容易に想像がつくだろう。

そうしてインプットを増やして「やっぱり好きかもしれない」と思えたとして(ここで「かもしれない」でも十分というのは大事なことだと思う。その時は良さが分からなくても、後で目覚めて「やっておけば…」「続けておけば良かった」と後悔する日が来るかもしれない)、それでもやっぱり今の教室に通うのはどうにも億劫だ、と思うならば、可能であれば環境を変える方法を模索して欲しい。他の日時を選んだり、他の教室や先生を探したり。大手であれば、系列の他の教室があるかもしれない。他にも個人が運営している教室もある。地理的条件が許せば、一度それらの見学に行ってみると良いかもしれない。プロの先生にも当然色々な人がいて、練習の進め方、教え方(厳しいか優しいか放任気味か)、レッスン時の雰囲気(時々雑談も挟みつつ和やかにやるのか、時間いっぱいみっちり集中するのか)、などは様々だ。もちろん人間同士なのでそれ以外の点でも相性の良し悪しはある。また、グループで習っている場合はクラスメートとの相性もあるだろう。

それらの条件が仮に改善できるとしても、やっぱりあまり好きになれないということもあるかもしれない。それならば無理に習い続ける必要は無いだろう。ただそれでも、可能ならば、ほんの少しだけでも触れ続けて欲しい。音楽であれば、遊び半分でもいいから家で楽器に触る時間を確保するとか、せめて演奏を聴く機会を無くさないだとか。スポーツや語学など他のことであっても同じだろうと思う。ひとはいつ何がきっかけでどんなことに興味を持つか分からない。もちろん人生において何か趣味を始めるのに遅すぎることは基本的に無いと思う。が、やっぱり大人になってから完全に初心者として始めるのと、もっと若いうちに少しは触ったことがあるというのとでは、伸びやすさは変わってくるに違いない(前者が全く伸びないわけではなく、後者の方が伸び"やすい"という意味だ)。そして、やっぱり人間伸びやすい方がモチベーションは保ちやすいと思うし、モチベーションが高いほど楽しいと思うし、楽しいと思えることをやるほど人生は豊かになると思うから。

現実逃避に、一考

今後の自分に待ち受けているスケジュールを考えていたら、毎度のことだがやっぱり気が沈んできてしまった。違うことを考えたいな、と思っていたらふと思い出した話を、せっかくなので今ここに書き留めておこうと思う。

 

知人に化粧をする(少なくとも戸籍上は)男性がいる。あまり親しいわけではなく、また寡黙であるこの知人の性自認などについて私はちゃんと知っているわけではない。少なくとも服装が女性らしいわけではないし、髪を伸ばしているわけでもない。化粧だって、私は人から聞くまで気がつかなかった程度のものである(私が他人の身なりに対して鈍感すぎるのもあるかもしれないが…)。この人に関しては、ある楽器が上手く、かわいらしいキャラクターが好きで、インスタの投稿が(ステレオタイプ的な)女子大生のようにキラキラしていて、実は化粧をしているらしい、ということくらいしか私は知らない。

昨年別の知人がこの知人のいるところで「○○、お化粧してるんですって!すごくないですか?」と言及してきたことがあった(この口調は別に変な意図があるものではなく、単に発言した人が私に対して敬語を使っただけである)。この時私はどう返すのが最善か一瞬迷ったのだった。私はこの人の美的感覚も、どんな性として生きたいのかも、どういう格好をすることを望んでいるのかも、何も知らないから。

私は確かその時「女子力」という言葉を避けた。「偉い」も避けた。「意識高いね〜」と、できるだけ自然に返したんだったと思う。これも最善の返答ではないかもしれないなと、内心ヒヤヒヤしながら。

 

この人は私の対角線上に位置している人かもしれないと思う。一般的にはある程度以上の年齢になったら化粧をするものだという目で見られがちな、女として生まれ、しかしながら化粧へのモチベーションをほとんど持ち合わせていない私。化粧をしないものだという目で見られがちな、男として生まれ、それでも何らかの信念に基づいて少しだけ化粧をしているその人。その人が何故化粧をしているか私は知らない。女性的になりたいという気持ちの上でやっているのか、性自認とは無関係で単に美的意識が高いからなのか、私は知らない。だから「女子力」などという根拠のないしがらみの塊みたいな言葉を使うのは嫌だった。

この社会で、こういう世間の目のある中で、自ら進んで化粧をする(少なくとも戸籍上は)男性の人に対して「偉い」もなんか違うと思った。多分自ら進んで、好きでやっているのだろうから。サッカーが好きな子供がサッカーをして遊んでいるのを「偉い」と褒めるのは何だか変な感じがする、というのと同じようなものだ。

 

私はその人と対角線上に位置するかもしれないが、「どの性だったらどう在らなければならない」みたいな、そういうしがらみは嫌いだ。だから、私は私がそういう人間であるということを活かして、少しでもその人のありのままを肯定してあげたいと思ったのだった。とはいえここまで書いてきたこと全ては私の内的世界の中での倫理でしかなく、その人が実際にどう感じたかは私には分からない。願わくば気分を害していないと良いのだが。

自粛期間に寄せて、最低の倫理観の話

今年度の頭、いわゆる"自粛期間"と称されるあの約2ヶ月間。あの期間に対して、どこか甘える自分、安心していた自分が、自分の中に確実に存在していた。

倫理的に最悪な感情であるという自覚はある。この疫病のせいで夢を奪われた人、経済的に困難な状況に陥った人。そして実際に病魔に苦しめられた人も、大切な人が病魔に苦しむ姿を遠くから見守る他なかった人も、日本に世界に何人もいた(そして現在もいる)ことを、私は知っている。留学を途中で切り上げざるを得なかった人、そもそも行けなくなってしまった人もいることを、私は知っている。なんなら知人にだっているのだ。多くの人が戸惑い、悩み、困らされた(し、今も困っている)。しかし、あの誰もが戸惑っていた、手探りで生きていた感のある世界は、私のような怠惰な落ちこぼれにどこか安心感をも与えていた。誰もが生き方働き方に悩んでいる世界。誰もが手探りにならざるを得なかった時期。誰もが(必要に迫られて)慣れないことをやっていて、多少上手くいかなくても捗らなくても何となく仕方ないよねと許してもらえるような、「経験値が足りないゆえの寛容さ」みたいなものを、私は確かに感じていたのだ。ひょっとしたらありもしない空気を私が勝手に感じ取って自身を甘やかしていたに過ぎないのかもしれないが。

 

あの2ヶ月が明け、私は丁度その直後に就活を終えたこともあり少しずつ登校しての活動を再開したが、どうもしばらく以前ほど身が入らないような感覚があった(正直に言おう、今もある。まるで全快などしていない)。まあ、それでも世間は少しずつ動きを再開していく。いつまでも止まっていてはそれこそ犠牲が大きくなるばかりなのだから当然のことだろう。そこについていけずにいる私が、今も春と同じ格好をしたまま布団に横たわってぼんやりしている。…本当に最低なことだが、再びあの時のように何もかも止まってしまえばいいのにと思うことさえ時々ある。早くこいつを叩き起こさねば着実に卒業が危うくなっていくのだが……どうすればあの頃の甘やかな怠惰を焼き捨てて忘れ去ることができるのだろう。